
蟻地獄でばたついてやる表現から
少し勢い余って今月はまるまる東京滞在中。
マンスリーマンションがとても便利。
来月はまた関西にもどって短期東京出張をする予定。
新卒の頃と同じく職場の近くに家借りる。
年季はしっかりとかなりはいってらっしゃる。
二面採光の一面は隣の建物と鳩さんの居場所になってはる。
エリアが六本木周辺なのも似てる。
頑張って歩ける距離で、チャリ通勤。
今回は短期間なのでシェアサイクル利用に挑戦中。
かなり便利な一面、期待と逆いくととんでもなく苦労もする。
ジムには2回、場所変えて通ってみた。
それで思い出したのが以前地元のジムにいた時に、反射的にみてられないとおもってしまったことがある。
可動域が極端に狭い人。
可動域が狭いと動かす筋肉が少なくその分高重量が扱える。
神経や体に刺激を入れるためにわざとそのようにやる方法があるし、可動域の幅はそもそも自由に設定して良いもの。
でもそれをみて反射的に嫌悪感を感じてしまった自分に驚いたのと同時に、以前にも同じ感情を抱いたことがあったのにも気づいた。
それまで学生時代以来ジムで働くまでジムにはほとんど行ったことがないのに。いつ感じたことがあるんやろう。
わかったのは、自分は無知である。ということを忘れている人が昔から苦手。全てを知っているかのように振る舞う、振る舞いたい人を見ると反射的にきっつーと思い距離をとってきた。
その人をみた時と同じような感情が沸いていた。
当時からなぜエリート然としてる人から距離をとりたくなっていたのかがわからなかったが、そのジムで極端に可動域が狭い人をみて、世界観の狭さや自分と向き合ってない感を感じてしまうことにきっと共通点があるのだろうとやっとその時合点がいった気がした。
逆に本来のマニュアルにある使い方ではなく、一見して変な使い方にみえるものでも、真剣にトレーニングにしてる人やムキャムキャな人の場合その動きがとても理にかなっているのがはたから見ても理解できる。重りを動かすことではなく長く体を作ることに時間を割いてきた人、筋肉に刺激を入れるための集中と、筋肉そのものやフォームへの自問自答、改善が積み重なっているのでフォームからスピードから年季が入ってるのがわかる。
また結果として外見にもそれが現れている人の多くはジムの方針というのものを理解し、マシーンを丁寧に扱ったり礼儀正しかったりその文化に合わせた振る舞いをされる。観察していてその割合がかなり高いのがわかってくるときっと彼らにとって筋肉を大きくするなり体を作る作業はトレーニングで重りを扱ってるフォームだけではなく、その時間の多くをジムで過ごす必要がありマシーン、スタッフ、周りのお客さんへの振る舞いを考える必要があるのだろうと思った。
そこで働くまで自分はマッチョはバカっぽい感じが正直あったけれど、真逆なんやなあと痛感させられた。
自問自答を続け心技体を総動員して自己研鑽する。
これはマッチョに限らずあらゆる分野に当てはまる。でもこの「総動員」。これが仕事分野や趣味分野や人そのものの力強さを育むものだろうとして、自分はしっかりできんとかおもた時に実感の薄さにはっとした。
少しバタバタしていて目の前の仕事が進んだとしてもやってる気になって自分自身の方向について考えることを忘れるのはまずいなと。
考えているつもりでも自分自身への洞察の深さや思いの強さが弱いと楽でいて実は結果が得られないフォームにながれてしまう。
気づけたところで新しく何か明確に掴めたわけでもないけど。鍵であることは確か。
気ぃつけよ。