Skip to main content
search
0
Life

意外と身近な洗脳装置

By 2019年2月4日4月 5th, 2020No Comments

昨日の今日でイライラやストレスは起きたら全然なくなっていた。

天気も快晴。寒がりの自分でも建物の移動で面倒なので上着を脱いで移動したほど。

楽しさ、発散のイメージカラーが黄色だったのでおそらく衝動に突き動かされただろうゴッホのひまわり絵を拾って画像設定したのだけれど、その時に知ったのはゴッホのひまわりの2番目の作品は自分の地元の芦屋にあったことがあり、その名も「芦屋のひまわり」という第二次世界大戦の戦火に焼かれた幻の作品があったそうな。

へーとおもいつつ、今後刺激を絵に美術館にも行ってみようと思った。

二日酔いの時に食べられる日本食のありがたさ、ちょっと体調悪いくらいのほうが何が大切だったかをわかったりするので健康すぎて両手放しに喜んでなおざりにするのも注意せねば。

で、タイトル。
大げさに聞こえる内容なんだけれどもふと自分に置き換えることがあったので話のネタに。

ある陸続きの対立する国の国境に一方が巨大なスピーカーを構えて、相手方の国民に聞こえる大音量でプロパガンダ放送を行なっている。
その時にクイズになっててその答えがおもしろいなとおもったのは、その放送の合間に天気予報を流すらしい。


なぜか、その後に天気が予報通りになると、聞かされてる側は相手国が技術的に進歩していることがわかる。また天気予報意外の主張が天気予報のごとく正しいちゃうんか?となるらしい。

へ〜!
ん?わいらもテレビで天気予報みてるけど?

それとはまったく別の話、がっつり個人向けのプログラムでは
隔離された一人の部屋で外の光を遮って、情報を遮断した状態で映像を見せ続けることでかなり洗脳できるらしい。

ふむ。

外見が綺麗な男女が情報を発信すると信憑性があがるらしい。

ふむ。
CMに合点。今まで商品となんの所縁もない好感度の高いタレントがCMに笑顔でてくるのがよくわかる。

あとそれとはまた別の話、学習する時は好きだと思うことをテーマにすると良い。という話。脳科学的に好き嫌いのフィルターを情報習得の初期フィルターにかけるために感情でもって全然得られる情報量が変わってくる。
誰しも苦痛に感じる勉強もあれば、誰に頼まれるでもなく得てしまう趣味や仕事などがあるのがその例。

ふむ。
バラエティーで腹抱えて笑うこと、ドラマで感動すること、正確だと思ってる情報をニュースから得ること、心を開いてテレビに向かう状態は発信者側が届けたい情報が届きやすくなっていると考えて良さそう。視聴率が良いというのはその数だけでなく効率もいいのだろう。好感度という必ずしも品行方正である必要はなくてあくまでそれぞれ個人の価値観によってポジティブな感情が芽生えてさえいればいいのだろう。テレビの構成の本質は番組でなくそのCMにあるのではないか。


何を当たり前な。という話。ただこの話はCMだけでなく上記のプロパガンダのように客観的な情報、正確だと思っているもの。ニュースの内容もそれに含まれてくるだろうし、国家間の衝突では同じ事象について異なる国民の捉え方が全く違うのは記憶に新しい。

それらを個人的なテレビの話にしているが、現に広告市場規模はどれくらい大きいのか、それだけの費用を払ってももとをとれるくらいの効果が見込めるということだろうし、新卒は大手広告代理店に行けばかっこよく、年収も約束される狭き門であり世の中一般的な常識ではステータスであることは事実。


その影響についてまあまあ笑えないなと思うことがちょくちょく常識と呼ばれるものに感じることがあるし怒りすら感じるものある。

(真剣度合いの低いどうでもいい小ネタでいえば、よく仕事ができるビジネスマンすぐ外国人使う説。外国人のアフレコ。芸人真っ青のアホ声でもおにくそダンディーな声で説得力のある声になってる。モデルとして客観的美しさや絵になる素材として素晴らしいのは理解できているが、過剰な演出を積み重ねすぎやしないか。)


で、個人向けのプログラムについて、こんな考えが頭をよぎった。

これって大体の新卒で働く一人暮らしの人当てはまるんちゃうか説。

んなはずない。でも自分がニュースすらみなかったけれど少しずつ情報を鵜呑みにしなくなったのは時間がでてきてからで、隔離は言いすぎでも朝起きて、かすかに情報を得たあとは自分の打ち込む仕事に没頭し、帰って疲れて寝る。の繰り返し。
それぞれに集中するためにあえて遮断しにいくこともあるだろうし、最適化によって自分の心と頭を十分に使う余裕が本当にあるか。物理的に移動できても同じ場所の行き来や時間的余裕がないとネットがあっても難しかったりする。
過度なお酒でせっかくの時間の思考力を奪ったりもする。

採光の良い部屋で職場に歩いていける距離の部屋に最初は住み始めたものの、中には半地下みたいな部屋に住んでいたこともあるし、一人暮らしの1Kの採光や間取りなんてしれてるでしょう。と自分の生活や無数の一人暮らしの同じ間取りの部屋を想像して思う。

隔離された部屋も冒頭のプラトンの洞窟の比喩の画像や
<洞窟に住む縛られた人々が見ているのは「実体」の「影」であるが、それを実体だと思い込んでいる>その絵が極端だと思うが、先にもふれたその市場は現に巨大なもので、意見や正義は国によって大きく変わる。

違う国の人の事実認識や意見に驚くこともあるし、国境間のスピーカーの話、新興宗教の洗脳の話から洞窟の絵に描かれた人がどれもが強烈なテーマなので全くの他人事に思えるが、自分にも少なからずの影響があると考えていた方が妥当だろう。まずはそっから。

発信者の意図、表層の発信者ではなくスポンサーや影響力を与えられる人はだれか。
ネットだといってもその情報を表示させてるプラットフォームだって一応アルゴリズムはあるわけで。タイトルの装置は他人ごとではなくむしろその逆で今片手に持っているかもしれないし、他の何よりもずっと眺めてるかもしれない、普段からすぐそば、身近にあって影響はうけてるんやろうなーという話。


[vc_facebook type=”button_count”]