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Life

令和や

By 2019年5月22日No Comments

令和や。

最初聞いた時はびっくりしたけど、少しして日本語の語感の良さを改めて教わった気分。

冷たい語感もするけど厳かさとしてもとれる。

大学生の時の卒業旅行で初めて行った常夏のタイで、

熱帯樹と何重にも電線が絡まった電柱に囲まれた街中を眺めて歩いてはっと。

雪原に生き物が息を潜める寒い時期が日本にあり、

またそれが日本独特のわびさびや厳かさを文化を作っていたのだろうと、

四季が当たり前のことでなくそしてそれが自分の生まれ育った日本文化の根底にあったことを

海外にいって初めて知らされた。でも既にどこか体感をしていた自分にも気づく。

それに似た感覚を今回の新年号の発表で思い起こされた。

 

また久々に書きたくなったのは新年号がきっかけではなく、

調べ物をしていたときに瞑想という言葉に行き着いた。

目当ての情報からはどんな瞑想かはわからなかった、

んでさらに瞑想自体もわからず調べもすすめなかったのだが

まあどうやら良いらしいと。

種類もいろいろあるっぽいので興味も続かなかったのだが、

総じて自分やそれ以外のこととへ思いをめぐらせていく作業っぽいと理解した。

そういえば神社やお墓、両手を合わせる時に焦点が合うような感じがする時がある。

あれも一種の瞑想に入るのかもなあと思った時に、

最近の自分がPCやスマホに噛り付いて、空く時間が我慢できないように動画やネットのテキストを追っているのに気付く。

外の情報を追って、量は多いものの実体験ではないからか充足感を感じることができなかったのに対して

瞑想ええでーゆうてるアプローチはスマホやパソコンなどの外部デバイスに頼るのでなく、

自分の体や想像力を働かせて自己やまたそれ以外に思いをめぐらせる作業であるというのをみてああなるほどなと。

自分に意識を集中させるというのはそういえば意図的にやったことあまりない。強いていえば体動かしてるときや先に触れた食事の前後などにもある両手を合わせる時。

外的情報でも知的好奇心を刺激してくれる時もあるのだが、

どうも依存状態になってくる兆候の時には枯渇感が拭えずにいた。調べる側の自分の精度も下がっているのでしょう。

だいたいそうなってくるとあれしたいこれしたいという発想力や実行力も落ちてきている。

でだ、久々に書き始めたくなった理由に戻るのだけれど、

自分がブログを書く時にもっとも大事にしてるものの一つが自分の考えを書くことなのだけれど、

その作業もほとんど同じやなと。

これええがな。

書きたいなーとは思ってても後回しにしたり、書こうと思ってる内容って数秒後にどうでもよかったり考えが変わってたりするのできっかけがどんどんなくなる。

実際は書くとけっこう内容はどうでもよくて

誤字脱字が多すぎて読み返すが単に面倒なもあるが、出すだけで掃除をしたときのような達成感がある。

これがもともとのブログを書いてる本来の目的でもあったのでまた書き始めようと、

後回しにして外の情報を追ってきたけど、上面なものだし、その情報に囲まれた価値観の世界に生きるのは面白くないわけで、

自分に向き合うためにもブログを書いていきたいなあと。

ブログでなくとも自分の時間を積極的に作る。ということの大切さを感じた。

 

で、あらためてことわっておくのがこのブログは自己満足的なやつなので

情報もリソースも適当。誤字脱字の嵐。

あとは試験的なものや人柱的な要素も自分の中にはあって、

今後頻度を増すかもしれない(毎回書くたびに思ってはいる)

けど決して、その分に

質は期待してはいけない。

というか積極的にそこは下げていきたい。

 

それでも自分以外に、たった一人でも共感してもらえたり励みになれば。