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LifeSociety芦屋

さんぽと盲点

By 2020年5月2日7月 4th, 2020No Comments

昨日の夕方に近所の神社をとおる散歩にいった。

今はもう夕方でもだいぶ明るい。雲一つない快晴でずっと涼しい風が吹いていた。

屋根の下にある自分の部屋は温度調節がかなり難しく今ですでに暑い。輻射がかなりあやしいし危ないとふんでる。

暑いというより熱かったりだるくなる。ためしに冷房つけたらだいぶ楽になった。

長時間部屋にいる時間が増えてるのはみなさんも同じだと思うので家の中・部屋=外の環境より良いという思い込みがある場合は注意をされた方が良いかと。

で、日のある時間に散歩にでると単純なことで感動できてしまう。

歩きながら透き通った空を見ると水色と青の綺麗なグラデーションがあり、

歩道の沿の並木の新緑が透けて見える。葉が風で揺れて重なると空といろんな色の濃さの緑で揺れる。

過ぎ去っていく風にささささと音が鳴り、木の生茂る場所を歩く時人がいないのを確認してマスクをとると土の匂いがした。

プレイステーションからはじまり3D・CGの技術が進歩した子どもの頃から時々思うが、どれだけ液晶が綺麗になったとはいえリアルの情報量はすごいなあと。

もともと歩くことや移動が暇に感じる性質で音楽やラジオ的なものや動画を見ながら歩くため、肩にイヤホンをかけて外にでたが不思議と付けたくなかった。

そういえば車や電車のない時代は今いう自粛期間のような生活圏内で暮らしていたのだなあと。外に出回れないことが不幸のように感じてしまうが、そういった選択肢がなくても当たり前のように幸せだった時代が最近まであったんやなあと。

前振りっちゅうのも大事で美味しくご飯を食べるためにはお腹を空かせておくと効果は絶大で、引きこもってからゆっくり外を歩くと簡単に感動できる。コンクリートに猫の足跡をみつけると子どもの頃にこんなんよう見ながら歩いてたなあと、あと道路にある丸い目印(鋲びょうというらしい)の種類を探してあるていたり。

歴史を遡ることもなく子どもの生活圏てめちゃめちゃ狭い。親なしでスーパー行ってみた時もめちゃめちゃ緊張したし大冒険やった。

ちかくの神社では柄杓や鈴など持ち手のあるものが取り払われていた。

帰り歩道を歩いていて自分の後ろに小学生高学年か中学生くらいのメガネにスカートの私服の女の子も1人で歩いていて、大人しそうな典型的で育ちの良さそうなアニメに出てきそうな感じの子が手ぶらやけど、カラフルなピンクの水筒でコップが蓋になっているやつを飲みながら移動していた。その水筒を見てもしかしたらこの子も散歩中なのかなとか、自分で用意したか散歩としって親が用意してくれたやつかなとか遠足であったような懐かしさを感じた。犬と子ども一緒に散歩したり若めの人たちはジョギングをしていた。

スーパーや商業施設の多い場所とちがって住宅地域を歩くをみてなんとなーく一体感のようなものを感じた。家の近所で散歩してる人やジョギングしてる人の背景なんてそれまでしったこっちゃないが、大体今は自粛や取り巻く環境の背景は同じなんやなあと、世代や性別が全く違う人たちに勝手にシンパシーを覚えた。情報をメディアやネットで知る限りは自粛しな人や組織がどうのとか便乗した詐欺や最前線で闘う医療現場の苦境など。プレッシャーや対立をよく見るので、この環境下でより善く生きようとそれぞれが工夫している街中で感じた不思議な一体感は自分にとって少し意外なものだった。

かといって移動が自粛によって制限された今が前時代的になったこといえば、こちら関西から東京にいる人たちとも複数人で当たり前のようにプロジェクトを進められているのが不思議だなあと。移動範囲が狭くなる様でいて、実はこの機会に多くの人と連絡ができるようになり、寧ろより遠くの人とも連絡を取り合うきっかけになっている。

遠さというのも国外の友人もいれば物理的な距離だけでなく、時間であったり精神的な面もあるかもしれない。

趣味がyoutube観賞でこの期にお笑い芸人さんらも一気に増えて喜んでいて、前から見てた人やいくつかの発言から自分も共感し納得するのは何気に家事や料理など日常の些事で新たな発見や楽しさを見つけようとしていること。使ってなかったキッチンを使ってみた、食器をつかってみた。別にいつでも手の届くはずだったものが外に出られなくなって必要に迫られ気づく。

自分もいまここに来て発見していることが多い。それらもまたごく小さなことでも自分を満たしてくれる。そんな身近な盲点に自分だけでなく他の人も気付き発見に驚いているように見える。灯台下暗しは今だけの期間限定ではなくて、この環境下でなくても大事なエッセンスはまだありそう。

ずっと知ってた神社へ今まで生きてきて慣れ親しんだはずの近所でつかってなかった道を使って改めて思った。大きめの道でいて気になってはいたけど予定のコースで使わなかった道。散歩で間違えて進んだ場所からつながっていたことに驚いた。今はきっとこんな身近にあった盲点を見つけ開通させるような作業を楽しむ期間でありチャンスなんだなと確認に変わりつつある。

できなくなったことの変わりはまだ見つけられていないけれどもう少しだけ楽しめそうな気がした。