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ああネジとんでんなあ。。

By 2021年2月27日No Comments

誰に教わるかってのは非常に重要な鍵やと思う。

で自分はフットサルする時には詳しいだけやなくて教えるのこと自体を楽しんでくれる人に良く質問や意見を良く聞く。

自分がいく個人フットサルが数年前と違って非常に有難いのが経験者が増えていて、

社会人リーグや短くても1dayもしくは短期間的に開催されるリーグで「勝負」にこだわるプレーヤーが多くなってきたこと。

自分が楽しむために真剣にやるのはもちろん。時々足を運ぶ経験者が、

「お、ここの個人フットサルおもろいかもしれん」と思ってもらえたらまたきてくれる確率が上がるので、

それを願っていつもプレーしていた。

真剣であったとしても個人的な能力の他に、フットサルを真剣にやってきた人と、

ちょっとサッカーをかじってる人とには大きな差があり、フットサラーは同じフィールドでプレーしててもそれを「ミニサッカー」だと言う。

どこかにチームに所属して、何回も繰り返し練習して実践に生かして血肉にしたフットサルプレーヤーからすると

いきあたりばったりのミニサッカーには戦術にも連携やかけひきにも深みにかけてしまうようだ。

それらを学ぶためにはやはりどこかのチームに一定期間所属するなりして、練習に打ち込む必要があるが時間や場所の制約がある。

そんな制約を社会人になってからも真剣に打ち込めた人がリーグに所属したり大会に出ているので、

個人フットサルに経験者が何度もきてくれること、上手い人が通ってくれることに本当に感謝している。

その相手が務まるようにすればその間に何か学べるかもしれないし、相手への敬意から全力で勝負できることが楽しい。

自分がカルチャーショックだったのは意外と点を取り合うこのスポーツでありながら勝負に拘らない層はけっこういる。

この姿勢の差については個人フットサル論や仕事論にも繋がるようなテーマだけれど今回の主旨ではないので今度にする。

で、

自分の質問に答えてくれる経験者の中でフットサルのスキルや戦術について時間の惜しげもなく教えてくれる人が1人いる。

彼はフットサルチーム発足から地域リーグでも1部まで上げてプレーしたことがあるフットサル経験者。

誰に対してもめちゃめちゃ社交的で何より礼儀正しいその青年に恐怖を感じることがある。

今思うとそれがもしかしたら自分にとって一番大きい収穫なのかもしれない。

 

やはり真剣でやっての楽しみを知ってる人は真剣であることを喜ぶ。

こちらが下手だとしても真剣にやってることがわければお互いにギアをあげるし、相手が自分より上手いひとならギアを上げきなきゃいけないし上げきれる。

で、自分が真剣にやってるのに呼応してその経験者の人が勝負を仕掛けてくるのだけれど徐々にいた世界の違いの答え合わせができている。

印象的だったのは1対1の勝負を個人フットサルとは全く別で誘われる。

2時間ゲームしてそんな体力と気力あんねんと思ってほんまにゆうてるんかなと最初に思ったけれど、

その礼儀正しい青年が「これをやらないとどうしようもない」やりたくて仕方ない感じが出てる。

こわい。

上手くなりたいなら自分の知ってる範囲で行動してても仕方がない。せっかく上手い人側からの範囲で誘われているのだし、普段教わってるばかりでフットサルに通ってもらうためにも相手にならねばという思いもあって対戦した。

やばい。

終わらない。

ちょっと試しに程度で始まったら、「あと一本。一本だけ。」と言いながらもう走って位置に向かって始める体制になっている。

点が同点だったりこちらが勝ってたりすると終わらない。物腰柔らかで礼儀正しいからこそこの純粋な勝ちや1対1への執念がこわい。

ああ、やっぱりほんまに強くなろうとして結果出してきた人ってどっかねじ飛んでなあかんよなあと腑に落ちた。

普通の考えて普通のことしてて普通の結果がでるのはあたりまえ。

結論やってよかった。楽しいしやらないと得られないものがいっぱいあった。

フットサルの技術以外にも、今まで自分がどれだけこれに時間を費やしたか、その環境が凄まじかったかを謙遜で話す彼に卑下はなくやってきたことを言葉にする時の自負と自信に満ちていたのも印象的だった。

でもこれだけじゃなかった。

別の日に個人フットサルが終わった後でもなく、フットサルのゲーム中にたまたまお互いに休憩中だったの1対1を誘われてすることに。

普段はしっかり休憩しておきたいところ。

さらに別の日はそれじゃ収まらなかった。

2つのコートで4チームフルで回している時。つまりどこかの試合中に休むということがない、常に試合が続いている状態の日。正気か本当に疑ったのが、

その試合の合間に1体1の練習をしようというのだ。同じチーム、同じコートですらない。

確か最初は流石に冗談と思って流したような、でもその日の彼の分けられたチームなど全体の面子的には完全に不完全燃焼だったようで。「やりましょうひでさん。」

ほんの合間の時間に真剣にやることになった。

その日わいの腿裏は個人フットサル終盤で肉離れを起こしながらやりきった。確かその日の終わりも自分の代わり見つけてまた1対1やってたんちゃうかなあ。

プレースタイルから違うとはいえ、まさか休憩のないと言われるその時間帯に衝動に駆られていること自体が異常に見えた。

 

また別の日に学んだのは恐ろしさというよりかは、自分の甘さをとトレーニングについての考えを学べた。

その日は前の用事からそのままフットサルに向かう予定で前の予定が早めに終わったのでコートには開催時間の30分ほど前についた。いつも部屋に篭りっきりなんでゆっくり外でストレッチや準備運動でもしようとおもっていたら彼がすでにコートで1人ドリブルシュート練習をしていた。聞けば1時間前にはついているとのこと。

始まるまで準備運動くらいに考えていたけれど早々に切り上げ、「フィジカルメニューやりましょう」と言われてやはりまずは経験が重要ということでやってみることに。

フットサルならではのボールを使いつつもターンやステップが多い種目で1種目1セットで3種類くらいやった。1種類目から足もげそう。肺破裂しそう。3種目目はもうさわりだけ。彼はそれをチームで1種目3セット。となりで手拍子でスピードを落とさずにあげるための声。姿勢や目線、ターンや蹴ったあとの動作の工夫などのこだわりをふまえてチームとしてその質を求める環境だったと教えてくれた。その話を聞いてるときの自分は呼吸するだけで精一杯。まともにリアクションもとらずただ空間を見つめて、「うそやろ、そんな回数設定ってほんまに可能なんか」と純粋に疑問が心の中で湧いてきたが彼のチームが強かった理由が単純に理解できた。

実際痛感するのはボールを触った後にターンや連続した動きができない。プレーが終わったら休む癖があって、続けるのには反射レベルで体に染み込ませるためにはこの練習はもってこい。

彼であってもプロの次元が違うというフットサルでは、コートの中に自分の相手が常に片腕の届く範囲にいる。そのスペースをいかに作るかというときに細かなステップ急激なステップ、最高速度で寸分の狂いもないボールトラップを連続で続けるためには、そのような状況を自ら作って練習する必要がある。

なもんだから上手くなりたいとか、チームとして少しでも高みを目指したいということならやって当たり前の練習やなと。

外部からの経験者が個人フットサルにやってくるのを求めてただ待っているだけの自分。下手やからこそせめて真剣にやるのが自分にとってのマナーで、確かに下手なくせに真剣にもプレーすることができない人が多く存在する中ではまともかもしれない。でも自分が一緒にやれれば光栄だとおもってる経験者からすれば思いつきでそういうことをやってはやめるのではなく習慣として続けている人と比べたらめちゃめちゃ甘い。

経験者競技者らを求めつつも埋められ難い差はセンスなどとも考えていたけれど、単純に圧倒的な質と量が足りてない現実を知ることができた。これまで教わってることは本来自分の行動範囲ではなくて環境を変えたり目標を変えて行動を変えるなどしないと巡り会えなかったことを気づけたこと教わったことが本当に貴重なことだと思う。

環境を変えるとしても、その先にいる人たちにも受け入れてもらう必要があるので自分だけの意志にではどうにもならない部分もある。

聞けば明確な課題に対しての解決策であっても、負荷以前に目的・目標設定とそれを現実のものとできるという自己評価の高さが前提があってこそ明確な課題を洗い出し、行動さらには習慣へと移すのはこのフットサルに限った話ではないはず。目標目的が違うだけでも課題設定は変わるし、それらを設定したり取り組むには自信などのマインドセットどれもが必要になる。

彼をこわいと思うのは、そういった彼にとっての在るべき姿と環境が違ったことが要因にあったのだろうと考えると、両者が「サッカーを楽しみたい」「うまくなりたい」という平易な言葉では同じであっても存在した環境や世界線の違いに気付かされるとともに自分の甘さにも気づく。

さらに収穫だったのは、その日の序盤は特に足がガクガクだったもののなんとかやりけれたのと、思ったほど足の怪我の心配をせずに済んだこと。

個人フットサルだけしてても足の疲労や怪我が出てくるのに、負荷を上げた状態でなんでやろうと思った時に2つ思い当たる節があった。

1つ目はジムで働いてた時に自分も実感したのでよくお客さんに進めていたのが、スクワットで重い重量を担いでみる行為に似てるかもなと。どういうことかというと、なんの重りがなくてもスクワットの動作には体重がかかるのでそれだけでも辛くは感じる。そりゃバーや重りやらをつけるとさらに辛く感じるが重り付きでやった後にさらに大きな重りを一気乗せて担いでみる。スクワットをしても良いし担ぐだけでもすぐに効果出るのは、それを経験した後にさっきつけた重りに戻してみても同じ重さであるにも関わらずめちゃめちゃ軽く感じるようになっている。筋力も使っているが神経系統への刺激が大きいことが由縁だと考えられる。重さを頭と体で覚えるのその差に余裕を感じる仕組み。メンタル面での余裕が生まれると。恐る恐るやる時よりも安定したフォームを獲得できるという流れ。これがフィジカルトレーニングの名の通り体などへの負荷をかけた状態と実践とを比べると差が生じるのだろうなということ。

2つ目は目的に沿ったトレーニングは実践よりも怪我の可能性が低い。負荷がトレーニングの方がかかっているという1つ目と矛盾するようだが、実践では様々なシチュエーションがボールの位置や対戦相手の場所やスコアなどによって存在するのでそれに合わせていると特定の負荷どころか体にとって無理のある形で動く必要もでやすいのだろうと思う。筋トレを正しいフォームでもって負荷を強めるのと同じで、ターンや反射の動きを目的として負荷をかける分には怪我の可能性を減らしつつ基礎力をつけることができているのではないかという考え。

自分がそれまで学んだトレーニングメニュー順番の考えというのは、コンディションの良い状態で一番鍛えたいところから始めるということが大事でこれは学習に関しても同じことが言えると思っていて、以前彼が練習の一番最初にフィジカルメニューをやってから練習や試合を始めていたという話には技術的要素が重要なフットサルでは内心順番が違うのではという意見を持っていたけれど、今回やってみたメニューのようなフットサルで重要な基礎的部分であり、他チームとの差をつけたいところもしくは強いチームとの差をうめるべき避けられない要素を体に染み込ませて強化するメニューは長期視点ではパフォーマンスを向上させ体への負担が減らせる(短期的には若干当日のキックミスは増えたけど)のかもなと、怪我が減らせるかもしれない可能性を知れたのもめちゃめちゃ大きい収穫だった。

思えばかの総合格闘家や世界的レジェンドクラスのボクシングチャンピオン、腕相撲の人など皆強さには憧れるけど瞬間的に結果がでるような世界でいても最近では練習動画が上がっていたり内輪の話も聞きやすくなってると、皆圧倒的に練習してる。それも基礎を大事にしてる。

世界チャンピオンらを薙ぎ倒していく日本人ボクサーのサンドバックうちの動画のコメントみて全くのボクシング素人の自分でも納得したのは、「一発一発に魂がこもってる。練習で一発一発こんなに集中できるのは怖い」気迫がすごい。基礎的な練習が故に質と量を重ねて見れる動画やと思う。

他の仕事にも言えることだとおもうし、かける時間は膨大なはず。自分の刀を研ぐ時にどんな目的でどの部分を強化したいのかを考え出すと出来ることってまだまだ在るし、それ以外のものって結構どうでもええよなあとか思えてくる。

万一に努力が自分の掲げた目標に届かないもしくは違ったとしても、自分が彼がチームで行っていた努力をしてなかったように、サプリやインフルエンサー、情報操作を目的としたメディアなどの上面の情報がもてはやされたりしてるように、直接的な努力を通じて得たものが価値になるしその努力を行えてない層って結構いるんだろうなと思うと内発的な欲求に時間を注ぎこむことは無駄にはならなさそう。

案外鍵は自分の中のすぐ側にあって気づかなかったり無意識に避けていたりそれを探り深掘れるのかが重要なのだろうなあと最近しみじみと思っている。結果として本人にとって至極論理的でシンプルであっても他人から見ればそれはねじが外れて見える状態なのかも知れない。