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海外安全

人質役になって意外だった感想とやってはいけないこと

By 2022年11月7日No Comments

銃口管理の次は訓練中にとても緊張した瞬間についてのブログに続く訓練の備忘録。

訓練のシナリオは単発で何度もいろいろなシチュエーションや人員を入れ替えて行う。前回に人質を救出する側の末席で参加したが、次は人質役やりたい人を挙手制で尋ねられたので手を挙げた。テロ役は少数であり、参加者の多くが練度の高い人であるために精鋭でないと訓練のバランスがわるくなりそうだなと消去法でいたが、人質役なら全く経験なくてもできそうだと思ったのと、一般的には救出する側ではなくて襲われる側を訓練するので参加者の方々のレベルからしても貴重な機会だとおもったので手を挙げた。

テロリストはたしか3人。で、自分が議員でありテロリスト側のターゲットである。ほか、人質はSPが2名。部屋の真ん中の柱を背に手をくくりつけられてスタート。その場で選ばれた人たちが即興で突入に備えた陣地作成から要求までを考える必要がある。この時は準備の時間もあまりなくほとんどが陣地作りに時間が割かれていった。

自分はなんで捕まってるんやろうと思いつつも、今まで触れたように皆さんが「実戦」を想定し訓練されているので自分は議員役に徹する必要がある。どれだけ演技が下手であろうと自分の命が危ういシーンで照れがあっては周りで真剣にされている人たちに失礼がある。演技はできなくとも自分が議員であると思い込むことに。

訓練開始。胸ぐらを両手が掴み柱に押しつけられた形で「〇〇の基地をどけろ!工事を即刻止めて移動せよ!」でワイ議員は楯突くでも断固拒否するでもなく「わ、私にはその権限はない!」と振り回されつつ顔を近づけ威圧する相手から逃げるようにして顔を背けて言った。

そうしてるうちにすでに侵入の気配を察しテロ人員が外に意識を向け始める。自分に対して激しい要求があったものの拷問などはなく、人質であるので即死はないだろうと「助けてくれー!」と大声で位置を伝えてみる。突入部隊が近づくのがわかる。テロ側も銃を構える。その時に午前中の座学で銃声や爆発のときに身を屈めることを学んだのを思い出し柱の下で小さくうずくまる。詳細についてはシチュエーションによって違うそうだけれど、一般人レベルではしゃがんだ方が遮蔽物の確率も上がるので一応ベタな方法として伝えられている。

この時に自分も意外でありシミュレーションの重要性を強く学んだのは、読者の皆さんも想像してほしいのは、自分が殺されるかもしれないシーンで助けにくる人たちが近づいたら嬉しいと思うだろうか。自分は思う。九死に一生を得たように救われたような希望の光で満ち溢れた想いになるだろうと。長い間拘束されるとそう思えるかもしれない。

でも今回はめちゃめちゃ怖かった。

もともと救出部隊の突入時というものはちんたらやるものではなく激しいポジション争いがあり、優位性を作るためにいかに相手の虚を作るかが重要になってくる。そうなると相手に精神的プレッシャーを与えるためにもスピードや正確性などのスマートの技術面の他にに獰猛さなども必要になってくる。その場にいる空気の色が一気に変わってギンと張り詰める中、けたたましい交戦が開始される。縛られ部屋の真ん中でしゃがむことしかできない自分にとっては部屋の跳弾する音が無数に聞こえてくるのでいつあたってもおかしくないと感じた。

テロ組織の主義主張や成り立ちによっては交渉決裂のその場で自分を巻き込んだ心中もあり得るだろう。「救出」というポジティブな印象のワードは自分の想像力は乏しく、実際は自分のいる部屋に炸裂弾や無数の銃弾を撃ち込まれるシーンでもあり当たらないことを祈るほか、せめて味方が自分のいる場所を知っておいてほしいと願いながらただ小さく小さくうずくまることしたできなかった。幸い今回のケースでは助けられたが、他の場面で人質は助からなかったこともあり、かなり紙一重むしろ奇跡に近いようにも感じる。

ドラマや映画で出てくる交渉人は万能で犯人を説きほぐし改心させ、救出作戦のシーンの度に人は助かるがあれは幻想といっていいだろう。

で、救出される側の一般人として知っておいた方がやってはいけないことというのは。救出部隊が来た時に助けを求めてそちらに一目散に走るのは危険であるということ。一縷の光と機会に恵まれたとしてそれで助かる場合もあれば下手すると救出部隊に撃たれる可能性もある。

走って向かってもいいのだろうけどおそらくそんな時に冷静な人はないし錯乱状態で近づくとどうなるかというと状況によって通りや施設の犯人が明確でない場合に部隊の人間からすればそれが犯人か一般人かの見分けがつかないので「制圧すべき対象」になるということ。制圧であればまだ手荒にアツか使われて大きな怪我をする程度ですむがまちがってでも抱きついた拍子に銃に手がかかったりすればどうだろうか?

一般人が捨て身で犯行を行っている場合に銃を奪われれば被害が拡大する。でもこの人は悪意をもって銃に手をかけているのか、たまたまなのかわからない。銃奪取が目的ではなく走って近づいて刃物を使うこともあるだろう。少なくとも無力化するために全力をかけて制圧する必要性がでてくる。

つまり全力で走って言うことを聞かなかった場合に一般人であるあなたはそんな状況と変わらない1人として判断されるのでとても危険になる。現場で判別の効かない一般人を丁重に扱ってくれるわけではなく、助けを求めて走ったとしても指示を聞くことやうつ伏せになったり協力的である必要があるので抱きついたり間違っても助けてほしくて暴れるとまずいことになるのは注意した方がいい。

非常に多くの情報を持ちながらもそれを伝えることで終わらせずに、あくまで我々はシミュレーション訓練こそが中心であると明言する組織の方達の重要性を痛感した。

自分の身の回りの生活の範囲で非常に平易な言い方をするとすれば、サッカーをしたいなら座学だけしてても無駄というのと同じ。臨場感や情報量がまず違うし、そもそもが別物になるが、自分を含めていかにどこか知った気になっていたりしていても、サッカーをしたことがないのに上手くなったという完全な奇妙な現実を変とも受け止めずにやりすごしていることになる。むしろ知らないだけではなく自分が記憶しているドラマや映画といった現実とかけ離れたものを根拠としているのもかなりリスクがある。

銃社会や政治情勢が不安定な地域で活躍する人たちやそれを支える人たちにはぜひそういった訓練体験してほしいと思う。海外と比べても非常にレベルの高いものを日本で受けることが可能であることも学べた。

また武術・剣術がそうであったように、このような訓練は銃火器などが合理化され主流となる現代社会における生存力をあげるために心技体を育む機会としてはこれ以上のない形だなあと、全くそのような世界が異次元の別世界と思っていた身としては日本と限定すると難しいけれど世界を意識した時にふと必要性や古流の武術と比べても意外な身近さがあるように感じた。