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今までやってたのはフットサルやなかった

By 2019年5月29日No Comments

小学校からサッカーを初めて今はフットサルをしている。

フットサルはサッカーが1チーム11人制に対して5人の小さなバスケットコートのような大きさのコートで試合を行う。

コートが狭い分攻守の展開が早い。

基本的に「個人フットサル」というものに参加してプレーする。

個人フットサルとはフットサルコートを運営する施設が時間を指定し、その日に知らない人たちがチームを連れてくるでもなく、ただフットサルしたいという人が集まる催し。

時間帯は社会人が仕事終わりに集まれる夜。

サッカー経験者なので変えがたい趣味として楽しさや有酸素運動のためにやってる。

個人フットサルでは人見知りでわざと壁をつくっているが、それでも顔馴染みや仲良くなる人はでてくる。

すると自分のチームを持ってる人から練習参加の誘いや人手不足のヘルプががかる時があって。

練習試合も公式試合も「まあまあ、個人フットサルなんだしなりすぎるなよ」みたいな部分がなくなって、

バチバチに勝ち負けに拘って戦える緊張感が刺激的。

体の削りあいも出てくるが本気感が良い。

地元の個人フットサル、略して個サルはガチ目の本気でやりたい人が多いのが好きで通ってる。

自分が結構重要視してるなと思うのはその場所にリスペクトできるプレイヤーがいるかどうか。

個サル論についても語りたいが今回の主題でないので今度書く。

で縁があって、地元のチームのフットサルに参加していた時期があり、

自分としてはその中でサッカーだけでなく人生レベルで参加できてうれしかったチームがあった。

それは小学校の放課後で一緒にサッカーをしてた先輩たちのチームに入れたこと。

一番年の近いひとでも2学年以上ちがうので当時だと食らいつくのに必死だし、

書きながら思い出したけど一緒にやりたくて近くで様子を見たりしていた。

声がかかったも後仁義なき指名制チーム分けが懐かしい。

気性が粗めで卒業したあともやんちゃさを増していく人も多かった。

その放課後は彼らに認めてもらいサッカーできたのが楽しかったなあ。

フットサルチームに参加したときはみんな大人になってだいぶ丸くなっていたけど、

フットサルとなると豹変しがちというか地がでるのか、乱闘のようなもみ合いもしばしば。

自分もかなり気性が荒くなってしまたちで、

その光景を眺めながら完全に環境の影響も大きかったんやと確信した。

一方で勝ち負けに拘った相手も真剣な戦場のような場所で

十数年越しに彼らと同じ仲間として真剣に戦える喜びも感じていた。

それぞれ先輩達は真剣にプレイヤーとしてフットサルをし県のトップ一部のチームでやってたりした経験者だが、その時は芦屋の地元のフットサルリーグ。

サッカー出身で個サルをしてても競技としてフットサルをずっとやってる人たちからすると全然プレースタイルもちがうし奥も深い。

そんな中で地元でも有名な先輩がいて、彼は関西のトップリーグで活躍し、Fリーグがなかった当時ではトップレベルで現役時代を過ごしていた人がいた。

今までいろんな人からフットサルならではのプレーなどを習慣化できないながら教わってきたが、

その人との会話で後ろから鐘つき棒でどつかれた衝撃をくらった内容がある。

フットサルはバスケットコートほどの大きさだと説明したけれど、人数が少なくなったとはいえマンツーマンで互いにマークし、走っても走っても離さないように互いにプレーする、比較的通りやすいサイドへのパスが通っても(ゴールに近づけば近くほどむずかしいため)サイドにはまたサイドライン、コートの限界が迫っている中で相手の全力プレッシャーがくる。

ただ、彼の視点はちがった。

自分は彼にサイドでパスをもらった時ライン際であったりパスコースが無くなった状態でどう対処すればいいかを丸投げで質問したときにまず考えを変えさせられた一つ目は。

ライン際でボール持つのは追い詰められている状況ではなく寧ろ有利な状態である。ということ。

ディフェンダー出身の自分としては相手を追い詰め相手の攻撃を遮断するには守りが有利なシチュエーションかとおもっていたのが、まずフットサルおいて外に蹴り出されても自陣ボールになるということ。奪いきらない限り外に出される分にはずっと自分のボールにできる。

これでボールを持つ時の気構えも違うしDFとしてボールを奪い切ることの重要性を学ぶ。

そして彼が続けたのは

トラップした瞬間に目の前の相手ディフェンダーは自分のコントロール通りに動かせるのでもう見ない。

??

いくつかのトラップのパターンを見せて具体例を見せてくれた。彼からすればほんの半歩分のスペースさえ作れれば十分らしい。

だからトラップしてドリブルするときに見てるのは目の前のディフェンダーのその後ろのDFを見てる。とのこと。

先に示したボールポジションで一人目はコントロール可能な状態なので一見狭いスペースに追い詰められていても躱してパスすることも可能だし追い詰められようともラインを利用して掻き出させれば自分のボールになる。さらにドリブルで抜き去さろうとしたり、シュートへと向かうことができる。

シュートへ向かうことができるとどうなるか、その体制によっては相手からすると失点の確率が高くなる。その確率がたかまってみえるほどの状況ほど相手の二人目のDFはフォローに出てこざるを得ない。

その二人目のDFが動き出したのを確認して、本来そのDFがマークすべきだった相手である味方にパスをだす。

とのこと。ほえー。

だからこそ、彼は人数に囲まれた時ほどチャンスだと思っている。

ほえーー。彼が机上の空論ではなくフットサルは連続的な無酸素運動も多いので比較的交代が多いスポーツなのに、ずっと飄々とコートに立ち続け説明の通りプレーしているのを自分も同じコートでこの目で見て知っている。

。。となると自分のスキルは向上しないにしても同じ状況でも見方考え方が全然違うことがわかった。

それに、それがわかればアンテナが立つので少しは改善しようという工夫が働く。時間の経過に大きな差がでる。

これはずっと前に知っとかないとあかんやつやった。。。

スペースが狭くて困っているという質問に対して

フットサルコートは広すぎるほどスペースがあるしいくらでもつくれる。

と心の底から断言された答えに大きく重めの鐘が自分の頭の中で鳴り響いた。

あまりの違いに笑いながら両手で頭を抱えてのけぞったが。

強烈すぎてここまで見ている世界や景色が違ってくると言葉として「フットサル」という漠然とした言葉で会話が成り立っって同じコートしかも同じチームで同じ試合に出ている仲でも同じ時間に違う競技をしていた可能性があるなと思わされるほどだった。

少なくともその先輩のいうフットサルはしてなかったと思う。

これは全ての単語。短い文字の羅列において言えることなのかもしれないなとまで衝撃の余波で思い至った笑

思えば、本来はポテンシャルを感じさせる人でも相手が迫ってくることで自分でミスをしてしまう人って一般的なレベルではかなりの割合で多いと思う。

その人がこの考え方をするようになってピッチに立ってみれば、相手と相対した時に集中力が途切れず、はたから見てどれだけ自信をもった姿に見えるだろう。それはきっとその人のプレーの質も変えるに違いないだろうと。

経験の浅い人で真面目な人ほど全力で走り続けてしまったり(2、3ステップでマークをかわせたりするし、全力疾走中に自由にボールコントロールできる人は世界レベル)小さな工夫の積み重ねで変わるのはわかっていたつもりだけれどトップレベルでプレーしてた人と自分の差がここまで大きいとは。

サッカーといってもプレーを想像する時にシュートを決めてるのをイメージする人もいればスルーパスきめてたりすライティングでボールを奪ってるシーンやセービングしてる人もそれぞれ。

フットサルだけでなく、ジムトレーニングにおいてみてもそもそもマシーンの使い方や鍛えてる場所理解せずにやってる人もいれば長年の研鑽で筋繊維レベルで集中して行える人もいる。

昔の日本人がどれだけ努力しても埋められなかった世界とのレベルの違いは大きくサッカーへの理解が欠けていたのも大きいのだろう、同じ人間にありながら生じる差にはこんな風に皆がなんとなく共通して理解しているつもりの言葉の脳みそレベルで認識のずれが生じている可能性があるなと。

ほかの全ての仕事、勉強、例えば習い事でいう将棋、などなどなぜか同じ人間でありながら差が生じるもの。は才能の要素だけでなく意外とこんな取り組むものの理解、見方ひとつで結果も大きく変わってくるのかもしれない。

そうなるとますます環境というのはその人間に与えるは大事。特定の事象内でのレベルの高さ低さが人の人生の優劣を決めるものでは決してないと考えているが、その本人が望んで高みを目標として掲げているのであれば低い環境でやってもそもそも課題の認識すら持てずに終わる可能性が高い、研鑽された環境にいれば多くの知見に触れることができるはず。

鳴り響いた鐘の内容をさいごにもっぺんまとめると

単純な言葉にこそ認識にズレが生じてる可能性。

その言葉の認識によってパフォーマンスが大きく変わる可能性。

その理解、精度を上げるためにも効率を考えると環境が大事だ。

という話。

衝撃を受けたことを伝えたかっただけやけどまとめてみて

今の改善点を振り返るいいきっかけにもなった^^