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Life

ある迷子のおんなの子のはなし

By 2021年10月26日No Comments

ある日にスポーツ用品店をはしごし、翌日心に決めた靴を買いに行った。

その後のフットサルの予定がありつつも、決めた靴で本当にいいのかぎりぎりまで悩む。

買って、お店を出ようとしたその時、入り口に泣いている小さな女の子がいた。

ワンフロアの単純な店舗で出入り口はそこしかない。そこには防犯用のセンサーが並べられるが、苦悶に顔を歪めて「ひっひっ」と声も出さずに肩を都度怖らばらせて目を真っ赤にする女の子がそのセンサーにかろうじて片手を添えて立っていた。

家族連れの多いお店なので、ちょっと喧嘩があったのか、たまたまそこにいるのかわからなかったけどあまり見ない光景に当たりを見回すと家族連れはいっぱいいるけどどうやらその女の子の家族らしき人がいない様子。可愛らしいマスクをしていたけどその姿から溢れる悲壮感から声をかけないといけないように思えた。

近寄ってみて「おかあさんとおとうさんは?」

「ぐっ、んぐっ。〜〜〜〜で、〜〜」と話してくれたけどよく聞き取れないのと話してて途中からまたさらに辛くなってまた泣き出すあたり、いないのだろうこと可能性が高いのがわかった。

前ネットで迷い子に声をかけたら周りから怪しまれたみたいな情報をたまたま見たことがあったので少し気にしたが、まあフットサルの格好をしていたし、ひらけた場所であやしまれる要素も少なく、その子の状況を見てどう思われてもよくなったので足を止めることにした。

家族が近くにいないか見回すと近くで別の家族でも気にしてくださっていた方が近寄ってきて、なんやかんや店員さんに声かけたら店内放送なりですぐお母さんが駆けつけた。

印象的なことでいまわざわざ書き留めたくなったのは、その子が自分の胸を打ち当日だけでなく数日たった今も思い出していること。

大きなスポーツ用品店で歩いているとこどもが鬼ごっこ的なことをしていたりある程度縦横無尽に走っていて、いちいち親も注意しているときりがないので放置してることを目にする。

そんな中で対照的ではあるけども、大人の腰の高さもあるかないかの子どもがとても心細いし恐ろしくて精神が崩壊しそうな時にお込まれても、泣きながらも堪えて入り口のセンサーに片手を置いていた子がなんとも健気ていて、強くて賢かったんだろうと思う。

向こう見ずに遊んでいる時や親との物理的な距離感がわかっているこどもならまだしも。外出先ではぐれてしまったという心細さと怖さの中で、きっとここにいればまた会えるかもしれないとその店舗の唯一の出入り口に立って待っていた。でも子どもの心には1秒だって永遠に感じる中で辛うじて手をセンサーに伸ばして心を保っていたんだろうと。極限の怖さの中で必死に自ら「理性を保とうとしていた」ことに賢さと強さを感じざるを得ない。耐えて耐えて耐えているけど大粒の涙と肩の震えは止まらない。自分も何もかもが怖く見えたこどもの頃を少しだけ思い出した。

近くにいたまた別の女性が励ましても伝わらないし、店員さんが名前を聞いても答えられないほどだった。かろうじて歳が5歳とわかったことと服の特徴でわかるとすぐに館内放送をしてくださったのでお母さんと兄弟が駆けつけた。

感動と尊敬を伝えたくて、状況もつたえなあかんと「しっかりとセンサー握って立ってました」というと周りが健気な様子を思い浮かべてか笑ったので少し伝わってないとおもい「とても賢かったとおもいます」と伝えても店内やし、人も多いし自分もマスクしてるし、目の届かないところでお子さんがしっかりしてたということを伝えることが親御さんとその子にも良いかと思ったのだけれどなかなか去り際に伝えられないままになってしまった。

その場にいる全員がそれぞれを称え感謝した。自分は心から感謝したけどされる時にはなんで俺がこの人にされるんやろとおもいつつも、嬉しさと開放感と感謝がその場にあった。きっと自分が立ち去ってからしばらくしておんなの子は泣き止みいつもの生活に戻ってくれているのだろう。

自分の弱さと直面するような過去の経験から、本当に彼女のように振る舞えるかどうか。本当に怖くて追い詰めらるような状況でも知恵と理性を働かせられるかどうか(一方で親御さんや周りがどう思うと本人がはぐれたと思えばいつでもそうなり得る)。強さは肉体的に大人になることや知識が増えるだけでないように思える。いざ追い詰められ恐怖に押しつぶされそうなときでもおんなの子のように出入り口付近で外出先で何もかもが大きく見えて唯一の心の拠り所である家族と離れてしまっても、センサーに片手を添えて震えて待っていた立ち姿が、自分なら本当にそう立ち振る舞えるのかを自問し、胸を打つほどに強い姿として焼き付いているように思う。きっと大粒の涙が止らずに顔がひきつっていても泣き崩れていないのも、必死に家族を探す必要があったからもしれないなあ。

なんの駆け引きもない子どもが心根の部分で行動していたことが感動と尊敬、また自省のきっかけをくれた。

環境や自分との戦いが姿勢に現れること。

ファイティングポーズ。理性を手放さない。

またそれが自分のように他者にもメッセージとして伝わり得るということ。

できるんかなあ。きっとあの姿を思い出しておけるようにしたいと思ってるんやろうなあ。